WWFからWWEへアメリカのプロレスの歴史!歴代チャンピオンも紹介

2019年11月21日

アメリカのプロレス大手のWWEの歴史を紹介します。

WWEは日本でも人気のアメリカのプロレス団体です。

日本人の選手が参戦したり、

WWEのファンの芸能人が面白さを語る番組が放送されたりと、
注目度も高まっています。

出典:goo.gl/WKHgXe

 

で、この団体、

元々はWWFという団体名で活動していたのですが、
いつのまにか名称がWWEに変わっています。

何故名前が変わったのでしょうか?

おそらくWWFという名称は日本でも、

ハルク・ホーガンがチャンピオンだった団体なので、
知っている人もたくさんいると思うのですが、

2002年からWWEに変更されています。

その辺の経緯も解説します。

 

また、この記事の後半では、

この団体の歴代のチャンピオンを紹介します。

たくさんいるので、一部だけになりますが、

日本でもおなじみのプロレスラーがたくさん出てきますので、お楽しみに。

 

では、かなり昔の話になりますが、

この団体の起源となる1925年に遡って解説していきます。

 

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アメリカンプロレスWWEの歴史

ビンス・マクマホン(WWEのオーナー)の祖父ロドリック・ジェス・マクホンは、

ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、

ボクシングやプロレスの興行を行っていた。

 

ロドリック・ジェス・マクホンが亡くなり、

ビンス・マクマホンの父親である、

ビンス・マクマホン・シニアが後を引き継いだ。

 

日本でもおなじみの団体NWAにも加入して、

プロレス興行の世界で地位を築いた。

 

その後NWAを脱退、

WWFの前身となるWWWFを設立した。

 

そして、1979年3月に、

 

団体の名前をWWF(World Wrestling Federation)とした。

 

ビンス・マクマホンは大学を卒業して、

父からプロレスのビジネスを学び、

WWWF時代からリングアナウンサーや実況などを担当していたが、

WWFの親会社を買収して実権を握ると、

WWFの全米進出とプロレス界の統一を計画した。

 

ハルクホーガンを始めとする有力な選手を、

次々に他団体から引き抜き、

 

地方団体の吸収、

ライバル団体の試合を放送していた枠を買い取るなど、

 

手段を選ばず精力を拡大。

 

そして遂にマジソンスクエアガーデンで、

 

ビッグイベント「レッスルマニア」を開催し、

2万人の観客と400万ドルの興行収入を上げた。

 

しかし、ライバル団体も黙っていない。

 

ライバル団体のWCWに団体のスター選手、

ホーガンやサベージが移籍すると、

WCWはWWFの「MONDAY NIGHT RAW」と同じ時間に、

裏番組として敢えて「MONDAY NITRO」を放送開始する。

 

WCWはnWoのヒットやビル・ゴールドバーグのブレイクにより、

WWFの視聴率を上回った。

 

WCWはWWFと肩を並べる団体に成長した。

 

ただ、WWFも黙っていない。

 

ビンス・マクマホンはそれまで試合の実況を務めていたが、

オーナーとしてリングに上がりマイクパフォーマンスをする様になり、

遂には自分もリングに選手として上がる様になります。

 

再びWWFは人気を取り戻し息を吹き返した。

 

その後WCWの人気が下降し、遂には崩壊、

 

WWFがWCWを吸収し、

全米のプロレスはWWFの独占状態になった。



WWFは以前から訴えられていた

それは、世界自然保護基金(略称:WWF)と同じWWFだったからです。

世界自然保護基金(略称:WWF)は、

名前の変更と3億6000万ドルの損害賠償を請求する訴訟を起こしていた。

2002年に裁判に敗れ、名称をWWEにした。

 

WWE歴代チャンピオン

という事で、WWEの歴代チャンピオンを紹介します。

と言ってもWWFやWWWF時代まで遡ると、

めちゃくちゃたくさんいるので、

主だった選手を紹介します。

初代WWWF王者バディ・ロジャース

彼はリオで行われたトーナメントに勝ち抜いてチャンピオンとなった。

しかし、このトーナメントは実際には行われていない。

アメリカのプロレス界ではよくある事なので、

あまり細かい事は気にしなくてよい(笑)

では、紹介しましょう。

 

ボブ・バックランド

出典:goo.gl/9mfxbc

日本でも活躍、新日に来日した事もあるバックランド。

若手時代ハンセン、ジャンボ鶴田と同じ車で移動していた。

 

練習熱心でレスリングの実力者。

 

日本でアントニオ猪木とベルトをかけて戦い、

敗れている。

 

その後猪木がベルトを返上して、

再びチャンピオンに返り咲いている。

ハルク・ホーガン

出典:goo.gl/pUZBQj

日本でもおなじみのレスラー。

アメリカンプロレスと言えばホーガンの顔が思い浮かぶ人も多い。

 

身長2メートル、体重140キロという堂々たる巨体。

 

ボディービルで体を鍛え、

ロックバンドでベースを弾いていた事もある。

 

日本で戦う時は、黒のショートパンツに漢字で「一番」と書かれていて、

「イチバーン!」と叫ぶ決めポーズも有名。

 

映画「ロッキー3」にプロレスラー役で出演しメジャーになった。

アンドレ・ザ・ジャイアント

出典:goo.gl/qao6h8

大巨人、人間山脈のニックネームがあり身長223センチ、

体重236キロという巨体を生かし日本でも活躍した。

 

ハルクホーガンとも戦いを繰り広げ、

ホーガンがアンドレをボディースラムで投げたシーンは、

アメリカンプロレスの名シーンと言われる。

 

リングを下りても色々なエピソードがあり、

考えられない量のワインやビールを飲んだという話や、

大食いのエピソードも有名。

ランディ・サベージ

出典:goo.gl/5QRhDZ

 

“マッチョマン"ランディ・サベージは、

ホーガンの次に出て来たスーパースターです。

 

レッスルマニア3での、リッキースティムボートとの死闘、

レッスルマニア4でのテッド・デビアスを破りチャンピオンとなった試合で、

不動の地位を築きました。

 

2011年車の運転中に心臓発作を起こして、

事故を起こし帰らぬ人となった。

2015年にWWE殿堂入りした。

ジ・アンダーテイカー

出典:goo.gl/qveET2

長年に渡りWWEでトップの位置にいる怪奇派レスラー。

墓掘人の名前の通り対戦相手を棺桶に入れたり、

十字架に磔にしたりする。

 

試合で埋められて何回も死んでいるが、毎回復活する。

 

レッスルマニアに何度も出場しているが、

負けた事が無く驚異の勝率を誇っていたが、

遂にブロック・レスナーに敗れ話題になった。

 

リングの上では不気味な存在だが、

実は選手達から信頼が厚く、リーダー的な存在。

 

リック・フレアー

出典:goo.gl/M6kkMY

ネイチャーボーイのニックネームのリック・フレアー、

日本では狂乱の貴公子というニックネームで全日本プロレスに参戦、

NWAの世界チャンピオンとして何度も来日。

 

相手の持ち味を出させて、

最終的に勝つというスタイルでレスラーからの評価が高い。

 

相手に攻撃されて、許しをこう、

コーナーに投げられて、

一回転して場外に落ちるなど、

様々なやられ技も持っている。

“ストーン・コールド"スティーブ・オースチン

出典:goo.gl/jJi6Jg

テキサスのガラガラ蛇、最凶のタフ野郎の異名を持つ、

ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、

WWEの歴史の中で起こったWCWとの視聴率戦争で、

一番の功労者と言っても過言ではない。

 

社長のビンス・マクホンとの抗争は、

ケーブルテレビの最高資料率を叩き出す。

日本にも新日に来日し蝶野正洋の首を破壊した。

ザ・ロック

出典:goo.gl/mv8wp1

俳優としても有名な作品に出演し日本でもおなじみのザ・ロック。

三代続けてプロレスラーの家系に育ち、ジ・アンダーテーカー、

トリプルH、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと並ぶビッグ4の一角。

精悍な顔立ちと優れたレスリング能力、

マイクパフォーマンスも上手い。

日本にもWWEのツアーで来日した事がある。

レッスルマニアX8で、ホーガンと新旧のエース対決を制して、

世代交代を果たした。

ブロック・レスナー

出典:goo.gl/rhRszR

学生時代からレスリングで活躍する。

プロレスデビュー後たったの5ヶ月でWWEのチャンピオンになる。

その後総合格闘技に参戦、

たったの4戦でUFCのヘビー級チャンピオンになった。

 

2005年、2006年日本でも試合を行っている。

 

化け物の様なイメージがあるが、大腸憩室炎の持病を持っていて、

2011年に手術を行い、大腸を30センチも切る手術を受けた。

 

総合格闘技からWWEに復帰、また総合格闘技に戻ったが、

2016年12月ドーピング検査で陽性反応が出たため、

1年間の出場停止処分を受けた。

ジョン・シナ

WWEのエースとして君臨している。

 

子供や女性のファンが多いく、

 

ファンからの評価が高い。

 

しかし、熱心なファンからブーイングを受ける事も多い。

 

その理由はオーナーのビンス・マクホンの露骨なシナ推しと、

試合が面白くないという事でアンチが多いのも事実。

 

学生時代からボディービルで体を鍛えレスラーになった。

 

WWEのタイトルを10回以上も獲得。

 

怪力で知られ、

2人の巨漢レスラーを同時に持ち上げた事もある。

その合計体重は300キロを超えている。

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