明智光秀の家紋の意味【色や由来】日光東照宮の家紋の正体

今日は明智光秀の家紋について語りたいと思います。

マニアックな内容なので、

需要があるのかは分かりませんが(笑)

 

また昔の話で別の説がある場合がありますので、

ご了承下さい。

 

直接明智光秀に聞いた話ではありませんのでw

 

光秀がどこで生まれたかも諸説あるそうなので、

家紋の様な細かい話、色々な説があるのは納得できますね。

スポンサーリンク

明智光秀の家紋の意味【色や由来】日光東照宮の家紋の正体

今回お話するのは、

・明智光秀が使っていた家紋の色や形の話。

・明智光秀の家紋の由来や意味。

・日光東照宮にある光秀の家紋の話。

 

但し、調べていくと、

世の中に出回っている話と、

実際はちょっと違うのかも・・

 

 

なので、今回は一般的に広く知られている話と、

それって間違ってるんじゃないの?

 

実際はこうだよと言われている話両方をお伝えします。

明智光秀の家紋について一般に語られている事

明智光秀の家紋について調べてみようと思ってネットを検索すると、

桔梗紋(ききょうもん)と最初に出てきます。

この家紋が桔梗紋です。

 

桔梗紋は桔梗の花がモチーフになっています。

この桔梗紋は水色で、

一般的な白黒の家紋と違って色が付いているそうです。

 

その為「水色桔梗」と呼ばれています。

明智光秀が桔梗紋を使う様になった経緯と家紋の由来

明智光秀は鎌倉時代からの名門、

土岐氏(ときし)の流れを持つ家柄です。

 

その土岐氏が使っていた家紋が桔梗紋です。

 

この土岐氏は鎌倉から江戸まで栄えた家柄で、

たくさんの分家を生んでいます。

 

足利幕府時代に隆盛を極めました。

 

現在岐阜県に土岐市という所がありますが、

土岐氏の本拠地だから土岐という地名が付いています。

 

明智氏は土岐氏から生まれた枝の、

その中の1つに過ぎません。

 

土岐氏の流れは、

明智光秀以外にも有名人を輩出していて、

浅野内匠頭や坂本龍馬もその1人です。

 

因みに坂本龍馬の家紋は、

これです。

「組あい角に桔梗紋」

出典:https://sakamotoryouma.com/

kisotichiki/kamonn.html

 

土岐氏は一時期、美濃、尾張、伊勢を収めましたが、

斎藤道三の謀反によって没落していきました。

 

明智と比べて土岐氏の方が大きく、

長く栄えていたのですが、

現在では明智光秀の方が知名度が全然上です。

 

明智光秀は、

本流の土岐氏が使っていた桔梗を家紋として使った。

という事が分かりました。

土岐氏が桔梗を家紋とした由来

土岐氏が桔梗を家紋とした由来は諸説あります。

 

土岐氏初代、土岐光衡(ときみつひら)が戦闘時に、

カブトに桔梗の花を挟んで戦ったところ、

大勝利した事から、これは縁起がいいという事で、

桔梗を家紋に採用したという説。

 

もう1つは、

桔梗は古い呼び方で「オカトトキ」と言います。

 

土岐氏が本拠を置く地が、

このトトキが咲く地という事で、

 

土岐という地名が生まれた。

(現在の岐阜県土岐氏)

 

現在でも岐阜県の土岐氏では市の花は桔梗としています。

 

そんな関係の深い桔梗を、

土岐氏の家紋としたという説もあります。

水色桔梗

土岐家の家紋は黒ではなく、

水色が着色されていた。

 

太平記の中の記述に「水色の笠符吹流させ」という箇所がある。

この笠符吹流させが桔梗の紋に当たると言われている。

 

土岐家の旗印には、

白地に水色の桔梗紋バージョンと、

水色地に白抜きの桔梗紋バージョンがある。

 

後にこの水色桔梗を受け継いだ明智光秀の家紋を見た、

織田信長は「いい〜な〜」と言って羨ましがったそうな。

 

と、ここまでは一般的に言われてる事。

実は明智光秀の家紋の記録はない

しかし調べていくと、

かなりショックな事が分かりました。

 

明智光秀がこの家紋を水色桔梗を実際に使っていた、

公式な証拠となる記録は無いそうです。

 

織田信長が明智光秀の水色の家紋を見て、

羨ましがったというエピソードがありますが、

 

これはかなり後の世に書かれた、

物語の中に出てくるエピソードで、

本当にあった話かどうかも怪しい。

 

 

あくまでも桔梗紋を使っていた可能性が高いという程度。

 

後に描かれる合戦の屏風の絵などは、

想像で描かれた物だそうです。

 

また、ドラマや映画などの戦闘シーンに出てくる家紋は、

明智の軍勢を分かりやすくする為の演出として、

水色地の桔梗紋を使っているそうです。

 

実際はどうだったのか、

見た人は今生きてないし、

写真も無いから想像でしかないという事です。

水色桔梗は後の人が作った

こんなツイートを見つけました。

このツイートを読んだ時、

最初は意味がわからなかったのですが、

 

日本で最古(応仁の乱の頃)の武家の家紋について書いてある書物、

「見聞諸家紋」という物に、

土岐氏の桔梗紋について書いてあるという事です。

 

ネットで見れるので、

私も見てみました。

 

そこには土岐氏の家紋について書いてあったのですが、

形としてはこんな感じの桔梗紋が書いあります。

現在の土岐桔梗の形とは違う桔梗の形です。

 

土岐桔梗はこんな感じで、

丸みを帯びています。

調べると、

土岐桔梗は江戸時代に桔梗紋から派生した家紋だそうです。

 

江戸時代に入ってから、

デザインし直したのかもしれませんね。

 

主に、土岐氏、明智氏、肥田氏、瓜生氏が使っていたそうです。

 

戦国時代と違って、

単なる家を識別する為のマークから、

家紋の役割も変わってくるんですね。

 

権威の象徴だったり、

格式を表す物に変わっていったんですね。

 

江戸時代の家紋を使う目的と、

明智光秀の戦国時代の目的では随分と違いますね。

 

 

また、サイトによっては、

この桔梗の家紋が水色の物が、

土岐氏の家紋で、

明智光秀も使っていたと説明しているのですが、

 

何より「見聞諸家紋」の説明に、

「桔梗但幕者無紋水色」

と書いてありました。

 

つまり土岐氏の家紋は水色の桔梗ではなく、

 

水色地に、

無紋(桔梗の紋は描かれていない)

 

つまりただの水色が土岐家の家紋と書いてあるのです。

水色のみ。

 

水色の桔梗のマークが土岐家の家紋ですとは、

一切書いていません。

 

家紋の紋は無し。

と書かれています。

 

 

それがいつの間にか、

桔梗の紋が水色という事に変わっていった様で、

さっきのツイートにつながるみたい。

 

 

もし、明智光秀が土岐氏と同じ物を使っていたのなら、

無紋の水色を使うんじゃないの?

 

と思ったり、

 

土岐氏の本家が水色を使っているのに、

そこから派生した明智氏が戦場で同じ物を使うのか?

 

ややこしくならないか?

 

というのも疑問です。

 

明智光秀が活躍していた頃は、

土岐氏は没落してたから、

 

関係無かったのかもしれませんが、

それは謎です。

 

※土岐氏は斉藤道三の謀反にやられて、

光秀がブイブイいわしてた頃は、

没落していたのです。

日光東照宮に光秀の家紋桔梗があるのか?

明智光秀の伝説の1つとして、

信長を本能寺の変で殺した後、

 

秀吉に山崎の戦いで敗れ、

落ち武者狩りで百姓に刺されて深手を負い、

自害したと言われていました。

 

実は明智光秀は生きていた。

 

姿を変え、

名前を南光坊天海と変え、

徳川家康の幕僚となっていたのです。

 

徳川家康の側近として仕え、

影から徳川家康を支えた。

 

その証拠に家康を祀っている日光東照宮には、

明智光秀の家紋である桔梗紋がいたる所にあるからだ。

 

更に、日光には明智平という地名まである。

これは間違いない!

と、盛り上がってしまいましたが、

残念ながら真実は違う様です。

 

これが桔梗紋と言われてるんですが、

これは残念ながら桔梗紋ではありませんね。

桔梗紋はこれです。

あるいはこれです。

似てると言われれば似てる様な気もしますが、

むしろこっちじゃないでしょうか?

木瓜紋(もっこうもん)

これは木瓜紋の中でも織田信長の家紋である織田瓜です。

 

外側のパーツも写真を見るとちゃんとありますね。

 

これは木瓜紋に見られる「瓜輪」(うりわ)という物ですね。

 

で真ん中の花の部分も桔梗とは違いますね。

 

木瓜紋の方がどう見ても違いますね。

 

上の写真以外にも桔梗紋と言われてる部分があるのですが、

これも桔梗紋には見えませんね。

これが桔梗紋。

やっぱりこっちですね。

という事で日光東照宮の家紋は、

明智光秀の桔梗紋ではない。

 

明智平も単なる偶然。

と思います。

 

夢をぶち壊す内容なのですが、

これが結論です。

(私の)

 

おすすめ記事:東照大権現とはどういう意味か?由来など簡単に分かりやすく

おすすめ記事:徳川家康が妻と子供を殺す事になった理由が今でも謎だ

 

スポンサーリンク

歴史

Posted by マミ