徳川家定と篤姫の夫婦仲は?子供はいたのか、歴史ミステリー

2019年11月21日

徳川家定と天璋院篤姫の夫婦仲って本当のところどうだったのでしょう。

というのが、徳川家に篤姫が嫁いだ時というのが、将軍家の跡目問題で水戸派と紀伊派が揉めていた時で、篤姫は水戸派の島津斉彬のスパイという説があるからだ。

島津斉彬から密命を受けたという書物が残っているらしい。

実際のところはどうだったのか?

実際に本人に聞いてみる事も出来ないし、インタビューに答えたという事もないので、誰も分からない事なので、残っている証言の資料を元に推理するしかないのです。

歴史ミステリーという番組が昔あって、

そんなテーマで番組をやっていたのを思い出したのでもう一回見てみた。

今日は番組で語られた内容を書こうと思います。

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徳川家定と篤姫の夫婦仲は?

篤姫は1856年(安政3年)11月に第13代将軍徳川家定の正室になった。

病弱だった徳川家定は1858年(安政5年)7月6日に死んだ。

結婚生活は、たったの1年9ヶ月で二人の間には子供はなかったそうだ。

番組では二人に愛は無かったとする説と、愛はあったという2つの説の根拠を紹介した。

仲良くなかった説

大河ドラマ「篤姫」の原作者である宮尾登美子さんは語る、

「ドラマが事実と違うと感じる点もあります。篤姫は病弱な夫をよく支え、二人には深い信頼関係が築かれていたはずです。でも、ドラマの様に仲睦まじく愛し合っていたという関係では決してなかった。実際は夫婦としての仲は良くなかったはずです」と語っている。

いきなりショックな話です。大河ドラマの「篤姫」でめちゃくちゃ宮崎あおいと堺雅人は仲が良かったやん!

 

福井県立図書館にある「作夢紀事」によると、

養父島津斉彬が篤姫に伝えた言葉が残っていて、彼女が大奥入りする前夜、

「家定公が慶喜殿の事をどの様に考えているのか探り、世継ぎについて直接話すのじゃ」と語ったという。

篤姫に対して、島津斉彬は密命を下していた。

それは、次期将軍を慶喜にする事。

当時幕府は次期将軍の座を巡って、紀伊藩主 家茂を推す紀伊派と、水戸家出身の慶喜を推す水戸派が対立していた。

慶喜を推す水戸派の中に島津斉彬もいたという。

要するに篤姫は、水戸派のスパイだったと。

斉彬は毎月篤姫に一千両(現在の貨幣価値にすると4500万円)を送っていた。このお金は大奥の工作資金、たくさんのお金を大奥にばらまいて、大奥の支持を集める為にお金を使えと篤姫は斉彬に言われていたそうだ。

篤姫はあくまでも慶喜を将軍にする為に結婚したんであって、家定に愛情はなかった。

また、家定に関する証言もあり、

旧事諮問録(きゅうじしもんろく)という、大奥にいた女性の証言を書いた書物によると、家定は夜の営みが余り好きではなく、大奥に泊まるのは、月に1、2度と少なっかった。

篤姫と結婚する前に結婚していた妻二人にも、たった一人いた側室にも懐妊の兆しが一度もなかった。

これは、家定が子供っぽい性格ゆえ女性にも興味がなかったのでは?という予測を立てた。

子供の様な幼稚性の為、女性に関心がない?ホンマかいな?

家定は死の1ヶ月前に、島津斉彬の思惑とは逆の紀伊派の家茂を将軍とする事を発表した。篤姫達が望んでいた慶喜ではなかった。

という事で、家定は女に興味がなかったし、篤姫はスパイなので、この二人が愛し合うなんて事はないというのが、仲良くなかった説です。

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仲よかった説

家定は17歳の時に公家の娘と結婚した、しかし7年後に病気で亡くなってしまう。更に25歳で再婚した公家の娘も僅か7ヶ月で急死した。

2回目の人早く死にすぎです。結婚する前は元気だったんだろうか?という疑問は湧きますが、そんな一人ぼっちの家定の元に篤姫がやって来る。

島津斉彬は篤姫の性格を忍耐力があり人付き合いがうまいと言っている。

篤姫は分け隔てなく人と付き合う人で、今までのプライドの高い公家の娘ではなく、

篤姫は親近感があって家定はそこに惹かれた。

また、家定は大変優しい性格な人だったそうで、当時珍しかったカステラを食べていた時に、

家臣に分け与えたり、子供の頃父親の家慶が病気で寝込んでいた時に、

自分で作ったおかゆを作って、

父親が食べるのを隠れてずっと見ていたというエピソードもある。

そんな心の優しい家定に篤姫も心惹かれていった。

出典:goo.gl/r8iaRg

更に二人の仲の良さを示すエピソードとして、家定は1854年にペリーが二度目の来航をした時に、多数の献上品を貰っているが、その内の1つである、「鏡台の類」(きょうだいのたぐい)今で言うミシンを篤姫にプレゼントしている。

更に江戸城の様子を記された文献「昨夢記事」には、家定と篤姫の夫婦仲は良く、大奥ではもっぱら世継ぎの誕生を待っていますとしるされていた。

これらの事から家定は篤姫の事を信頼していただろうし、篤姫も家定の事を包み込む様に接していたのだと思う。だから二人はお互い信頼し合っていた、仲が悪かったという事はありえないと思う。

という、仲が良かった、愛し合っていたという説です。

最後に

以上、愛し合っていた説と、愛し合ってない説についてのお話でした。あなたはこの二人、本当に愛し合っていたと思いますか。

では、また。

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Posted by マミ