イーロンマスクの生い立ちと若い頃の逸話「私はアスペルガー」

はい!という事で、今日はイーロンマスクの逸話を調べていたら、

色々凄かったので、皆さんと共有していきたいと思います。

 

世界一の金持ちは、どの様な人生を送ってきたのか?

それでは、イーロンマスクの生い立ちを紹介します。

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イーロンマスクの生い立ちと若い頃の逸話「私はアスペルガー」

イーロンマスクの正式な名前はイーロン・リーヴ・マスク。

1971年6月28日生まれ

生まれた場所は南アフリカのプレトリアという場所です。

 

【家族】

父親 エロール・マスク

職業:電気機械エンジニア、パイロット、船乗り

 

母親 マイエ・マスク

職業:モデル、栄養士

※有名なモデルで彼女の父親が、カラハリ砂漠の失われた都市を探す事に夢中になった人だったので、彼女も10年間毎年砂漠を冒険していた。

 

2人は1970年に結婚しましたが、1979年に離婚しました。

※離婚の理由はエロール・マスクの家庭内暴力とマイエ・マスクは語っています。

 

2人の間には3人の子供がいて、

 

長男がイーロン・マスクです。

 

弟 キンバル 1972年9月20生まれ

後にレストラン経営者、起業家になります。

 

妹 トスカ 1974年 7月20日

後に長編映画、テレビ番組のプロデューサー

 

イーロンマスクの少年時代は裕福で「金庫が閉まらないくらいお金があった時期があった」

と語っています。

 

父親、裕福なエンジニアでした。

 

両親が離婚した後は父親と暮らしたのですが、後悔する事になります。

 

父親はイーロンと弟のキンバルを台所のテーブルに座らせて、

4時間以上説教していました。

 

その後、父親とは疎遠になり、後にイーロンは父親の事を酷い人間だったと語った事があります。

 

南アフリカの高校を卒業した後に、アメリカに行こうと決め、まずカナダのクイーンズ大学に入り、

そして2年後、アメリカのペンシルバニア大学に移り、

 

1997年に大学を卒業しました。

 

それでは、イーロンマスクの子供の頃の逸話を紹介しましょう。

 

子供の頃はいじめられっ子だった

イーロンマスクは子供の頃、内向的な性格でした。

本が好きで夢中になって読んでいました。

 

そして体も小さかった為、酷いいじめにあっていました。

階段から突き落とされ入院をした事もありました。

 

いじめは15歳まで続きました。

 

両親はイーロンマスクのことを耳が聞こえないと思っていた

イーロンマスクは子供の頃、よく空想にふけって放心状態になる事があった。

話しかけても聞こえないのです。

 

友達が話しかけても、横で大きな声を出して怒鳴っても全く気付かない。

 

その為、母親は最初、イーロンの耳が聞こえないと思い医師に検査を頼んだ事があります。

 

後に母親はこの行為が、彼の発明に繋がる方法であると語りました。

 

母親は言います「今もそう、彼は自分の脳に入っていって、別の世界に行ってるみたい、

ロケットか何か、そういう物を設計してるんでしょう。今はそのままにしています」

 

とにかく本が好き

イーロンは本を読むのが好きでした。

自分でも両親と本によって育てられたと言っています。

 

9歳でブリタニカの百科事典を全巻読破し、小説、ノンフィクション、漫画も読んだ。

一日に10時間も本を読んで過ごしていました。

 

自分が最も影響を受けたのは、「ロードオブザリング」「銀河ヒッチハイクガイド」

アイザック・アシモフの「ファウンデーション」シリーズなど。

10代でうつ状態になる

イーロンマスクは、10代の頃、人生の意味について考え、かなり落ち込んだ事があると告白しています。宗教書を読んだり、哲学書を読んだりして、人生の意味を理解しようとしました。

 

12歳で自作のゲームを作り儲けました

イーロンマスクは10歳からプログラミングを独学で学び、12歳で「Blastar(ブラスター)」というゲームをプログラムして作りました。

 

一晩中1人でコンピューターに向かい、プログラミングする事にやりがいを感じました。

 

彼は、このゲームのプログラムを500ドルで売りました。

 

自家製チョコレートを裕福な家庭に売り歩いた

イーロンマスクは弟のキンバル、従兄弟たちと一緒に、裕福な家庭を周り、50セントで作った、

イースターエッグを、10ドルで売って儲けました。

 

弟のキンバルも起業家精神溢れる人物で、何故、50セントで作ったのに10ドルで売ったんですか?

 

と聞かれた時、「私たちから買わないと、その人たちは、それを手に入れる事ができない、そして

その人たちが、10ドル支払う余裕がある事を知っていたからです」と答えました。

 

ダンジョンズ&ドラゴンズのトーナメントに参加した

イーロンマスクはダンジョンズ&ドラゴンズというゲームが大好きでした。

10代だった彼は、仲間とヨハネスブルグで行われる、ゲームのトーナメントに出場しました。

 

ダンジョンズ&ドラゴンズは、世界最古のRPGと言われるゲームで、

 

テレビゲームではなく、テーブルトークロールプレイングゲームと呼ばれるものす。

会話しながら遊ぶゲームなんですね。

 

イーロンマスクは、ダンジョンズ&ドラゴンズのトーナメントに出るには4人必要だったので、

友人を無理やりゲームに誘いました。

彼は自分の事をオタクだと言っています。

 

16歳でゲームセンター開業を目指す

イーロンマスクは弟のキンバルや、年下の従兄弟たちと一緒に、高校の近くにゲームセンターを開く事を考えつきました。

役所に書類を提出し、物件を探しましたが、年が若すぎる為に不動産の契約ができなかったので、

この計画は断念しました。

 

10代でアメリカ行きを決意

イーロンマスクはアメリカに行けば、自分を生かす事は簡単だと思いつき、

アメリカに行く事を決断します。

 

アメリカに行く為には、カナダからの方が簡単に入国できると、

カナダの大学に入った後、2年後にアメリカのペンシルベニア大学に転校しました。

アメリカに来た頃はお金が無く、1日一ドルで生活しました。

ペンシルベニア大学では二つの学士号を取得しました。

たった2日でスタンフォード大学を辞める

イーロンマスクはエネルギー物理学の博士号を取得する為、スタンフォード大学に入学しました。

しかし、たった2日で辞めてしまいました。

その理由は物理学よりもインターネットの方が、世界に影響を与えると思ったからです。

彼は最初の会社Zip2を立ち上げて、4年後に3億ドル以上で売却しました。

 

イーロンマスクはアスペルガー症候群だと語った

はい、ここまでイーロンマスクの生い立ち、若い頃の逸話を紹介してきました。

彼のちょっと普通の人と違うなという特徴は、

 

・周りの音が入って来ない程空想にふける

・何時間もずっと本を読み続け、何時間もプログラムし続ける

という事ですね。

 

イーロンマスクは、は自身がアスペルガー症候群であると言っています。

アスペルガー症候群は発達障害の一種で、対人関係やコミュニケーション能力などに問題が出るとされていますが、人付き合いを避けて、1人で自分が好きな事に没頭するという特徴があります。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

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