西郷隆盛像、鹿児島の浴衣じゃない方は本人そっくり!遺族も認めた
西郷隆盛の写真本物は?
西郷隆盛と言えば、大の写真嫌いで有名ですね。
その為本当の西郷さんの顔は未だに謎と言われています。
また上野の西郷隆盛像の除幕式で像を見た奥さんが、
「似てない!」と酷評した事も有名な話ですね。
じゃあ西郷隆盛はどんな姿を実際はしていたのか?
という事が謎になるのですが、
実際の西郷さんの顔は実はもう1つの鹿児島にある、
浴衣を着てない像の方が実はそっくりと言われています。
今日はその根拠と鹿児島にある浴衣じゃない、
軍服の方の西郷隆盛像の制作秘話を絡めて紹介したいと思います。
鹿児島の西郷隆盛像は西郷家のお墨付き
鹿児島の西郷隆盛像は似てると遺族がお墨付き
出典:goo.gl/6SKoRd
鹿児島の西郷隆盛像は、
鹿児島市立美術館の近くに立っています。
この銅像の作者は安藤照(あんどうてる)さんという鹿児島出身の彫刻家です。
この銅像の制作を安藤さんに依頼したのは、東郷平八郎です。
東郷平八郎は鹿児島出身の人で、
日清戦争、日露戦争で日本海軍を指揮して勝利に導いた人です。
その人の依頼で安藤は西郷隆盛の銅像を作るのですが、
かなりの苦労をされたそうです。
というのが、ご存知の様に上野の西郷さんの銅像は似てないという事で、
家族も驚いた事は有名です。
同じ様な似てない銅像を作るわけにはいけません。
実物の西郷さんそっくりな像を作る必要があったのですが、
何しろ写真も残っていない。
あの教科書に載っている顔も、
弟の西郷従道と大山巌の顔を足した物なのです。
そして、十年の歳月を費やし昭和12年5月に完成した。
その像を見た遺族は、
「ああっ、似てる」と言って涙を流したといいます。
モデルになった人が判明、写真も残っていた
一体どおやってこの銅像のイメージを作り上げたのか?
実はこの像にはモデルになった人がいたのです。
このモデルになった人物の子孫の方が仙台に住んでいました。
そして、そのモデルとなった時の写真を受け継いでいたのです。
それが、こちらです。
出典:goo.gl/12LydP
この写真の人物は山形県議の石澤宏太郎さん。
西郷隆盛は身長180センチ近くあったと言われていますが、
写真の石澤氏も180センチ90キロと、
とても立派な体格の持ち主だったのです。
西郷隆盛像の作者の安藤照さんは、石澤氏を見て、
「あなたは、まさに西郷さんのイメージにぴったりだ、
モデルになって欲しい」と石澤氏にお願いしたそうです。
この安藤さんの申し出を石澤氏が快諾し、
西郷さんの銅像が作られたそうです。
実はこのモデルの石澤氏と出会うまでに、8年かかったというのです。
西郷さんの縁戚者などに軍服を着てもらったりしたのだが、
全然ダメで、時間が過ぎていったそうです。
そして、遂に8年経って、石澤氏を見つけたそうです。
石澤氏は西郷さんのご遺族の方とも面会したそうで、
ご遺族に方から、
まさしく西郷隆盛だとお墨付きを貰ったそうです。
写真を見て分かるのは、
顔がふっくら太っているイメージの西郷さんに比べたら、
かなりシャープな顔立ちをされていますね。
なので、実際の西郷さんは、
そんなに太ってパンパンではなかったんじゃないでしょうか?
というのも、生前の西郷隆盛に会った事のある東郷平八郎は、
上野の西郷さんの銅像について、
「制作に苦労した様だが、顔が緊張した表情だし、太り過ぎでは?」
という内容の事を語ったと伝わっています。
因みに、
上野の方の西郷さんの像はモデルという人はいないそうで、
キヨッソーネのコンテを元に、
西郷さんを知っている人や親戚に聞きながら、
修正を重ねて作りあげたそうです。
苦労して作ったんですが、残念ながら、余り似てなかったみたいですね。
最後に
という事で、今日は西郷さんの浴衣を着ていない方の銅像についてでした。
まとめとしては、この銅像の方が間違いなく似ているという事と、
銅像にはモデルがいて、写真も残っている。
西郷さんの家族も似ているとお墨付きを与えているという事ですね。
西郷隆盛をもっと知りたい
そんな方におすすめの書籍です。
こげなお人ではなか! 発見された西郷隆盛の写真